Memories in April

Prijateljstvo2007-04-01

84-5565。これが大学生の時の学生番号。最初の2桁が西暦なので今になって昔の出来事を振り返る時に重宝している。84年、昭和59年、20歳、大学一年というふうに1つの基準点として役立っているわけである。だからだろうかこの年の春の思い出は強く残っている。入学式のために丸井でブレザーを買った。いわゆる丸井の月賦で。(この月賦と言う言葉は今は死語なのだろうか。)入学式だからブレザーじゃなければいけないかななんて思い込みで買ったが、全然似合わなかった。エンブレム付きなんてねぇ。よく考えると入学式の式典自体のことが思い出せない。たぶん出なかったのだろう。じゃあなんでブレザー買ったんだ。


4月の頭キャンパスではサークル勧誘合戦が激しかった。一番最初に声かけてくれたのはバックパキングサークルのカナマドユカリさん。大学生のおねえさんって感じでステキだった。手際よくサークルの部屋に誘われる。説明を受けてはじめてバックパッキングの意味を理解して、まったく興味がない世界だったのでカナマドさんには悪いがお断り申し上げる。次に身体検査があったときにバドミントン部からお誘いの声が。高校時代の経歴を調べて声をかけてくれたのでちょっといい気分になってしまった。何回か練習に出て新人歓迎コンパにも出席した。でも何か違うと思って辞めさせていただいた。


1ヶ月間ほどな〜んか暗い気持ちが続いた。な〜んか。したいことがわからない。(だったらちゃんと勉強すればいいのにそのために大学はいったのにおとさんおかさんごめんなさい。)。でもそれは決して後ろむきな気持ちではなく、逆に、相当に強い気持ちで何かを探していたんだろうと思う。こんな気持抱き続けたのは人生この時期だけだ。こんなかんじでした1984年の春は。 


その後「あれが噂の電撃隊」という劇団サークルと出会うのだが、この時の出会いの喜びはボクの拙い文章力では書き表せないので割愛。かくして入学式以来袖を通さなかったブレザーもその秋には衣装として活躍の場を与えられた。威風堂々の曲に合わせてぼくは、Kiuchi Kuwahara Narukiと共にいきいきと手に持ったバナナをむいて、食べていた(いつかまた続く)。